脊振日記 目次(Vol.68) 脊振日記メニューへ バックナンバーへ
12月10日 防寒・耐寒
12月11日 亥年の終りに
12月21日 沈み橋
12月10日 防寒・耐寒


 北海道で過ごした昭和30年代後半から40年代の前半、冬になると、頭・体・手・足と防寒用品で覆っても尚寒かった。まつ毛や鼻毛がパリパリする感覚があった。室内の窓枠は、すき間から雪や風が侵入するのを防ぐため目ばりを行った。 
銭湯からの帰り道、濡れタオルを夜空にむかってクルクル回すと、コチコチの棒状になった。凍結し、アイスバーンと化した道路は、車にタイヤチェーンを装着していても、カーブやブレーキを踏むと滑ってしまい、ノロノロ運転をするしかなかった。 
 そんなことを思い出しつつ、脊振の冬に備えて、鶏小屋やウサギ小屋の防寒処置を行った。材料はベニヤ板を使用し、小屋の外周に取付けて、雪や風を防ぐ簡単な作業ではあるが効果は大である。うさぎや鶏たちに気持ちは通じないだろうが、自分で納得すればいいやと思っている。ベニヤを張ると暗くなるし、電気もストーブもないが元気に過ごしてもらいたい。
 それにしても、人間は弱いと思う・・・・
強かったのは、裸足で走ったマラソン選手のアベベ、笑いごとでも他人ごとでもない。子供の頃は、裸足を幾度となく経験した。小学校の運動会はいつも裸足で走ったし、冬の学校の板張りの廊下を、靴下(タビ)もはかず素足で歩いていた。
いま、足の皮が薄くなって出来ないが、ツラの皮だけは厚くなってきてしまった。
戻る


12月11日 亥年の終りに




 亥年をふりかえり、新年に向けて備える時期がまたまたやってきてしまった。 今年もいろんな事があった。別荘の裏山を通る姶岳横断道で、猪の親子に遭遇したり、鴨池の柵を補修中、毎日カワセミがやって来て、浅くなった水面へダイビングし小魚をキャッチしたり、キャンプ場の木に取付けた巣箱で、ヤマガラの夫婦が一度に多くのヒナをかえしたり・・・・


楽しいことだけが浮かんでくる。
私的には、4月に山の会に入会し山行を始めた。
会山行に5回参加し、そのうち2回は脊振山系を歩いたので、新たなる脊振を発見することもできた。山の会に入会して感じたのは、ユニークな先輩(山行の)たちの「うんちく」がすばらしいことであった。
 今はインターネットが普及し、いろんな情報が即入手可能だし、疑似体験も可能となってきた。便利このうえないが、やはりバーチャルの世界が主で、使い方を誤ったら大変なことになってしまう。
体がしびれるような、胸が高鳴るような感覚を覚えるのは、本物や本質に触れた時であり、自ら汗を流した時であり、山で言えば、目的の場所に行った時である。
その場所に行かなければ感じられない、汗を流さなければ感じられない何かが、そこにはあった。
戻る


12月21日 沈み橋


 別荘に行く直前に沈み橋がある。名前が良い。自然に逆らわず、大雨で流量の多いときはどうぞ橋の上を流れてくださいと。そのとき私たち人間は通りません。水が減少し橋の下を流れるようになったら通していただきますと。そんなメッセージを受ける。
 この古い橋がいろんなできごとのあと、両側の橋台部分が激流に傷つき洗堀され危険状態になったため、今回補強してもらうことになったが、その作業は見ているだけで大変さがひしひしと伝わってきた。いまは万事機械の世の中。大型の建機を持ち込みそれ行けドンドンで工事が進むが、如何せん橋の下の狭い空間では全ての機械作業は無理である。最後は人の手でバールを使って大きな石を動かし、手で生コンを押し込み、橋台部分の補強が完成した。
 この作業を見て感じた。ものの良し悪しで決定的に差が生じるのは手作業であると。如何に熱意と創意を凝らした手作業がそこに加えられているかである。単に建設工事だけでなく、料理から掃除にいたるまでその他全ての物造りにも共通しているように思える。とかく機械を使って大量に早く楽してだけでは他より抜きん出ることはできないのではないか。
 今回の作業で殆ど沈ます堅固な橋となったので、安心して別荘に行けるようになった。



戻る

















2007 冬
日山ホームホームページへ
サンマガジントップへ