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 脊振日記 目次(Vol.84) 脊振日記メニューへ バックナンバーへ
4月 3日 鏡を見る「キセキレイ」 4月 6日 この星に生まれて
4月3日 鏡を見る「キセキレイ」
  数日前の暖かい午後、止めておいた軽トラックのバックミラーあたりが騒々しい。何が居るのか、何をしているのか、バタバタ音がする。目を凝らして見ると、鳥がミラーの上に止まっていた。更に見ていると、ミラーの前に出てバタバタ羽を動かしホバリングしている。何をしているのか?自分の姿を鏡に写して、あまりの美しさに小躍りして喜んでいるのか。それとも、写った鳥が自分であることがわからず、ライバルと勘違いして戦いを挑んでいるのか、どういうわけか飛び去ったと思ったら又やってくる。
この日は、2時間程であったが、次の日も次の日もやって来てバックミラーとたわむれていた。居なくなった後の鏡を見たら白いフンで鏡面がいっぱい汚れている。まさか、春の陽気のせいで、気がふれたのではあるまい。やはりオシャレに気をつかって鏡を見てると思いたい。美しいキセキレイであったが変な鳥!



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4月6日 この星に生まれて


  生の終り(死)も生の開始(誕生)もわからないのです。
前世とか来世とか含めて、「わからない」ことは「わからないまま」受入れることです。
最近の風潮で、自己実現とか個性という言葉で錯覚をしていないですか。
「あなたは、それほど自分を価値ある人間だと思わない方がいいよ」
まあ、色々あるが人生も悪くない。
人生の中で、損得をまったく度外視して、ああ、あいつが居なくなって寂しいなと心底思える人が居たら、たいしたものです。そしたら、その人生は納得すべきだと思います。
 上記は、僧侶の南直哉著の本を読んで、一部を抜き書きしたが、至極もっともと感じ入った。
 中学生の頃、大人になって朝から晩まで仕事するのが嫌だなと思ったり、死について恐くて仕方ない時期があったりしたが、時は容赦なく過ぎてしまった。それなりに年を経て、終着駅も近づきつつある今、振り返ってみるに、喜びよりも苦しいことの方が多かったようだし、残された、これからも同じだろう。そして、出来ないことがドンドン増えてくる。それでも耐えて、虚勢を張らず受け入れて行くのが年の功だろう。
 この命あふれる星に生まれて!
何処からやって来て何処へ行くんだろう。行く先のない「無」でもいたしかたあるまい。
偉大なる何物かの影を感じつつ・・・


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2009 春
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